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アンのテディ・ベア

2・To be or not to be?


 

−0−


 こつ、こつ、とわざわざ音を響かせるために歩いているかのごとく、その人は歩を進めた。
「だから言っただろ? 一人で出歩くなって」
 目前で倒れた男。離れた場所にもう一人、意識のない男が転がっている。コンクリートの壁に開いた小さくないはない、いくつもの穴。この場で立っているたった二人の人物。ほとんど廃墟の空き家で、一体何が起こったのか。
 アンは、信じられない面持ちでありながらも、これはどこかで見た光景だと認識していた。
 ぴんとたった二つの長い耳は白く、塵も血も寄せつけないかのようであった。その耳の持ち主は赤ん坊ほどの大きさの、真っ白い――ウサギのぬいぐるみ。『不思議の国のアリス』に出て来る白ウサギみたいに、蝶ネクタイとチョッキを装備していた。愛らしい瞳は血のような赤い色に輝いている。
 そのウサギが何をしたか、アンはその目で見たが、それをもってしても信じられない。いや、信じたくないと言うべきか。
「とはいえ――今回のことは、ぼくらにも全く非がないとは言い切れない。きみとは違って、何しろぼくらは目立つからね」
 年の頃は、十一歳になるアンと同じくらいだろう少年。そう長くもないダーティーブロンドの髪を耳にかける仕草はどこか洗練されていた。あの年であの所作を取る、というのはアンも過去に見てきた事がある。少年の顔には見覚えはないが、気取った老若男女の集いのどこかで見た目つきをしている。灰色の瞳には人を見下す色。
 口の端に生意気な笑みを浮かべた少年は、座ったままのアンを見下ろしていた。彼の元へと、白いウサギのぬいぐるみは、音もなく歩いて・・・行った。少年の手前でぴたりと立ち止まったウサギは小さく頭を持ち上げて、彼を見上げたようだった。少年が顎でアンを示すと、ウサギはくるりと向きを変え、アンに顔の正面を向けた。ひどく無機質な瞳を、アンに注いでいる。何も語らないが、あのぬいぐるみは、自ら動いたのだ!
 少年の少し後ろには、彼と同じ年くらいの少女が黙ったまま立っている。淡いピンクという奇抜な色の髪を持ち、フレームのしっかりとした眼鏡をかけた少女だ。眼鏡の向こうで、じっとアンを凝視しているだけだが、かえってその眼差しの強さが居心地を悪くする。
「あんたたち……なんなの……?」
 答えは、分かるような気がする。アンは、同じものを見た事がある。痛みを伴う記憶の中に、よみがえるのは――炎の記憶。
「ぼくらは……」
 何かを言おうとして、少年は一度口を閉じた。それから、名案でも思いついたように、にやっと笑う。子どもらしい悪戯を思いついた笑みではない、策士を思わせるそれだった。
「きみの態度次第では、きみの友軍だよ――“アンジェリカ・ミルン”」
 名前を呼ばれてアンは目を見開いたが、すぐにそれをすがめた。最終的には助けられたが、この会ったばかりの少年がアンに何をしたか、思い出したからだ。




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